環句31 5月16日(水)増殖中

0
    肛門の開きて猫の糞まるる(tomi)

    肛門の開きて砂丘に砂多し(tomi)

    しあわせの大きく見ゆる薔薇の門(白水)

    水上がらぬ苦しさ百合解き放つ(あひる)

    水上を緒のごときもの流れ来る(tomi)

    万緑や神さん謝しつ用をたす(あひる)


    「ぼく」と「俺」〜吉本隆明の詩

    0
      吉本の詩にあっては「ぼく」とは外向きの、自己主張的人称であり、「オレ」とは内向きの、自己対話的人称である。オレ、は従って吉本の地の現れどころであると言っていいのではないか。

      環句30 5月16日(水)増殖中

      0
        看板に大きな顔の貼りつく夜(tomi)

        みどり夜に舌が黄色くなるような月(tomi)

        牛の息荒き島影の霞み(tomi)

        鰺描きてかたちするなとおもひをる(あひる)

        夕まぐれ躑躅の白に発情す(tomi)

        夕映えに白き躑躅が跳躍す(あひる)

        虚血喫茶親しきことの彼岸めく(tomi)

        雨に雨積もれば寒きベッドかな(tomi)

        銀のねじぐるぐるぐると締めて天(tomi)

        雲から垂れし紐数本に許されず(tomi)

        蟻地獄ぐるぐるぐるり反転す(あひる)

        猿の夕月膨らみて哀しかり(tomi)

        聖五月絡んだ紐を切らぬ愛(あひる)

        美しき跳躍見入るメガネ猿(白水)

        とうすみのうす翅立ちて哀しかり(あひる)

        糸とんぼの指蠢かせてふふと言う(tomi)

        まくなぎの死にたききょうの小糠雨(tomi)

        腎病みの皮膚のまだらや水の紋(tomi)

        病気の子みな集まれよ月が出た(tomi)

        目を閉じて五月の朝の明るさよ(tomi)

        レギンスの背に落武者の哄い顔(tomi)

        五月ハッピーバースデーのハート捺す(あひる)

        さぴしきレギンスの背に鉄線花よ蔓(あひる)

        まだ浅き夏の入りたる硝子瓶(tomi)

        梅雨もよう耳にしめじの声聴こゆ(tomi)

        環句29 5月14(月)増殖中

        0
          コクトーの蒼一枚沈め夏の湖(うみ)(白水)

          久方の光仰げば澪の道
          深き都に夢は果てれど(tomi)

          しかばねの局部を灌ぐ波青し(wawa)
          吾の生まれし潮騒の街(tomi)

          生まれてはまた死んでゆく時の間に(tomi)
          河ほとり失せ海に結ばる(wawa)

          山陰を山車の歩めば人歩む(tomi)

          幌馬車を作る人乗る人点々と(tomi)

          「言えないの?!」「言えない」日本語大辞典(tomi)

          ゆうれいの辞書をさがしに冥界へ(tomi)

          ことばにも折り返し点のあるかしら(towi)

          歔欷(きょき)するは倫敦塔の幽霊か(白水)

          喧嘩したみるくいちごをともに喰ふ(あひる)

          背後霊もふたりを見ている喫茶店(tomi)

          母の日に一%のおくりもの(あひる)

          ええ加減にし母に贈って帰り来る(wawa)

          静かな勇気血の花びらミムラス(あひる)

          ミムラスも驚くよのう刺殺体(白水)

          鐘か鳴りますきんこんかん正直爺さんポチ連れて(tomi)

          あまりりす不覚になみだのど自慢(あひる)

          雀坂もやしひとつを買い忘れ(tomi)

          夏畳虫を離れし脚や羽(tomi)

          海光りいままっすぐの夏来る(tomi)

          水沼も干沼も人のかたちして(tomi)

          ビスケット落ちたる人のかたちかな(tomi)

          にわ

          0
            樹皮や新芽をみんな鹿が食べてしまうので
            春には庭の木々は歯のぬけた櫛のようになってしまう
            ここはもう誰も棲まなくなった家
            けれども小さな日々の喧騒のぬくみが
            声となってまだ漂っているかのよう
            米も調度も整って
            ことばの通路が他人のように開いているかのよう
            ここは影の倒れる
            誰もいない家
            誰かが過ぎて行った
            突き当たりばかりに見える
            入り組んだ路地の道筋に沿って
            わたしたちはひとつ
            小さなキスを交わすことが
            できるだろうか

            環句28 5月10日(木) 増殖中

            0
              初夏の朝目をとじてイクスカーション(小旅行)(白水)

              猫の庭サンドイッチの匂いする(tomi)

              薫風に吾生まれし日乗りて飛ぶ(あひる)

              山笑ふ神々のチェス引き分けで良し(白水)

              傘さして歩けばおちこち山笑ふ(tomi)

              アスファルト魚体のように濡れている(tomi)

              傘化けも五月雨を被て軒の陰(tomi)

              山里の稲田に落ちる雨の色(tomi)

              けぶり雨案山子に名前尋ねられ(tomi)

              あんこ玉濡縁で見る雨の色(tomi)

              芋ようかん汚れるたましひの真昼(tomi)

              杖ついてだんじり祭りに従いていく(tomi)

              杖ついてオイディプスはいらへたり(白水)

              柴犬とスーツの並ぶ黄信号(tomi)

              風来坊やや濃い目の黄色かな(wawa)

              バス道のまなこに緑ふくらんで(tomi)

              春の鏡生死のふっとうつるかな(tomi)

              亡きひとに5月の小さなキスひとつ(tomi)

              万緑や赤きドレスは今どこに(白水)

              死にながら猫生きるとき人暮らす(tomi)

              草原で牛鳴きおんな母となる(tomi)

              尻まくり便器に座るとき海青し(tomi)↓

              恩寵

              0
                音色の向こうの
                それは顔ではなかった
                飢渇の花ばなが首を長く伸ばし合って
                春の花壇にぞめいているね
                骨の翼を打つ烏が灯りのひとつ寂しく点る
                枯草のなかを翔び立ち

                裏白の葉叢の奥に
                顔を隠して
                山はやがて
                覗くことの叶わない
                ほんとうの沈黙たちで濡れはじめる
                木漏れの下の
                緑の闇の近くから
                ごろごろ喉を鳴らし合う
                血の櫛のあいだから
                きのうの目だけが怺えるように
                じっとこちらを窺っている
                愁いを誘う半陰陽のまなざしをして
                中絶の花の
                永遠に閉ざされた
                ことばを開いて


                環句27 5月8日(火)増殖中

                0
                  ムシ殺す世界平和はカレンダか(あひる)

                  星を守り蛍を守り美星町(白水)

                  星明かり射して哀しき虫の家(tomi)

                  太陽の下束の間の美酒に酔ふ(白水)

                  ミムラス、赤、十、急いで逢いにきて。(あひる)

                  ぺかぺかのみどりの空の空青し(tomi)

                  夏立つとふゆのほころびを断つ(tomi)

                  緑陰へ駆け込む乙女初キッス(白水)

                  緑陰やひとり鬼神を蕩尽す(tomi)

                  連休や頭の数だけ空気鳴る

                  鳥影の過ぎて緑の新しき(tomi)

                  葉桜や赤子よおっぱいねんねしな(あひる)

                  春満ちて船の遠影石廊崎(白水)

                  植え込みの五月新し雛喰う店(tomi)

                  新緑や崖のぼろぼろ毀れ落ち(tomi)

                  チューハイも待ち望まれる猫の宿(tomi)

                  歯の裏に舌当たるとき河濁る(tomi)

                  繁栄と絶望とあり「泥の河」(白水)

                  はいこれがわたくしの乳首猫が逝く(tomi)

                  ミス・ハワイ愛や愛やと腰を振る(tomi)

                  キャミソール着けてなかなか浮かばれず(tomi)

                  新緑や血なまぐさきは生ま卵(tomi)

                  ヒゲ剃って花子たま子のうらやまし(tomi)

                  自ずから我在り夏の水往けり(tomi)

                  雲眠るやゆうべひとつの忘れもの(tomi)



                  追悼・吉本隆明

                  0
                    JUGEMテーマ:小説/詩


                    いてくれるだけでいい・・・
                                                          富 哲世

                    《娘よよく視な いま見ているのはやがておれの死顔だ》
                                        (吉本隆明「母の死―死は説話である」より)

                     「としよりは同じはなしばかりで情けない」という父吉本隆明に、娘よしもとばななは「そんなことはないいるだけで嬉しい」と応えたそうである。この返答にはもちろん家族愛がある。そして人の宿命に対する受容と覚悟がある。なくしてはじめて知ることや、気づくことの普遍的な先取りもあるだろう。そして居なくなられてみれば、わたしにとってもまたいつのまにか、その人は、そこにいてくれるだけでいい存在となっていたのだ。迂闊なことに。


                     『もし自分の意識の根拠といいましょうか、あり方といいましょうか、それを信じていることができれば、多分その人は、宗教的な、までいくかどうかは別として、〈信〉の側の人だというふうに言えるわけでしょうし、ぼくは自分が〈信〉の側に立ってないというふうに思えるのは、どうしても最後のところで自分が自分の意識の存在の仕方ということをあまり信じてない……』(「親鸞の〈信〉と〈不信〉」より)
                     理念としての〈信〉と〈信じること〉がわたしのなかでうまく結びつかないのは、わたしもまた「不信の徒」であり、〈信じること〉がよくわからないからだろう。わたしには〈帰依すること〉への渇望がある。けれども潔くそうならないのは、要するにそれだけの出会いがないということだけなのかもしれないが、やはり意識の根っこのところに、どうしても腑に落ちない自己存在のありようがあるのだ。この根深い〈不信〉の、弱さ、迷い、優柔不断さは、『私は今の、この、現世の喜びだけを信じる』(太宰治「駈込み訴え」)の延長線上にあって、それの〈信〉のためにのみひたすら現実を幻想化し、虚構化して一時の喜びの脚本に執着する。それはいつ潰えても仕方のない頭も尾っぽもない蛇のようなものであり、その自己演技によって本質的に愛する者への裏切りを内包するものであって、それゆえわたしはわたしの内なる〈死〉を、〈不信〉の域から、空無へと変転させることができないでいるのだ。これがおそらく、わたしの〈不信の構造〉の現象学というものであるが、もしわたしにとっての〈信〉が、この自己不信と葛藤しながらもなお、それがあればかろうじて生きていけるというようなものであるとすれば、それは「そこにそのとききみがいた」ということに尽きる。それは何か、かけがえのなさ、のようなものなのだ。

                     吉本さんの生涯は、知としての〈不信〉を、理路としてどこまでも突き詰めていこうとするものであった。そして有限な存在として、次第に肉体的・生理的に衰えていって、同じ眠りとはいえ眠りの中身はちがうように、その内面ははかりしれないが、「大衆の原像」で考えた価値あるものの姿そのもののようになっていくことの一致が、存在の到達点であり、思想の到達点でもあった。吉本隆明の実存と思想の最大の一貫性は、そのことの辻褄の合わせ方にあったのではないだろうか。それは不思議な幻想であるような気もする。猫好きな者にとって「結局人間様よりこの子が一番偉い」という感懐はだれでも抱きうる思いである。「大衆の原像」の奥にある価値の普遍性とは、根拠なく成立するその偉さのようなものではないだろうか。そこにいてくれるだけで偉い。いてくれるだけでいい。
                    それから死は、その死顔を越えて、おそらく、わたし達のなかを旅していく。

                    枯渇

                    0
                      どちらかというと
                      山際のビルのすき間から
                      山のさみどりが
                      深く
                      どちらかというと
                      うららかな一日のはじまりの
                      砂涸れの一輪の
                      うす紅の花
                      打ち上げられ
                      打ち寄せる波音を
                      背に
                      干からびていく魚
                      死の間際になって
                      ようやく
                      そのひとの苦しみや
                      悲しみが
                      微笑みのように蘇る
                      思いがけない
                      塩の泪が
                      うおののどをひとしずく
                      流れる


                      〈行春や鳥啼魚の目は泪〉


                      calendar
                        12345
                      6789101112
                      13141516171819
                      20212223242526
                      2728293031  
                      << May 2012 >>
                      PR
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      links
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM