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    • 2015.12.24 Thursday
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    もう少し

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      もう少し
      もう少しで倒れ伏しひれ伏して
      しまふところだった。

      バスからおりて
      いやその前に
      駅を出て
      バスに乗り
      触れてさわって
      たたいて割って
      それがわたしの金輪際の
      池であったなら
      ことはいたってたんじゅんなのだが
      それが捨てがたく少やっかいな
      ひもの道。
      寝待ちの浜で待つお湯と
      遅い月
      この夜の
      明るい潮溜まり
      ばやばやと
      栄螺はさわぎ静けさを集めて
      音痴はみぎわの広場を影深く放蕩する
      穴堀り人夫が戸惑っている
      ヤブイチゴの道。
      二階家の階段の
      とちゅうで捨て置かれたまま
      おもわず後ろ髪
      引かれて
      しまつて。

      雨に潤いはじめた
      黒く光るアスファルトの道
      はだか並木の樹の下に
      白木蓮のまるい大きな葉が
      一枚、ふっと落ちている。

      ゆふづつ

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        ゆふづつ


        鳥の背に灯りが射し
        暮れなずむの山のうしろによろいのように燃えながら
        焼き砂糖のただれた雲が暗く湧いている
        そ れは胸の傷みを埋めてやまない
        さいごに流れる血の蜜のしらべだ。
        背負ったものよりも重く
        きょういちにちの犬の兄弟たちが
        またたく星を見つめている。
        伝言の風の吹く
        冷えはじめた野辺では退く夜明けを待ちながら
        藪をさがして鶉たちがすがれた草むらを
        駆け回っている。
        千年前にも
        落ちたことばと
        ここにはたしかに癒えないでこぼこがあり
        〈わたし〉と呼ばれる声の中みがひらひらとしていた。
        這いまわる蛇の壺や
        破れ甕のかけらへと
        日がまだらに射し昇るたび
        古びゆく被服(かづき)は唄とともに色褪せ
        草臥れていく。
        なつかしい面差しの揺れる焦土のまなこは死んだ母の目のように
        まんまるく
        まだ何か言おうとしてうろんげに赤錆びて見開かれたまま
        じっと耳を澄ませば
        世界をむすぶ透き通る気配が
        夕星の迷宮をしんと潤してくるのが分かる。
        きょうはみんないい色の服を着ている
        なつくようにそう思いながら
        乗り継ぐための終着駅の人混みをおりた
        あのとき。
        いつまで待てばいいのか
        どこか石鹸のにおいがして
        刺のような小さな角を二本生やした影がまなかいを通りすぎ
        「この先、五千年」という道しるべの立つ
        さびしい辻の疎石の道で
        「本日は
        ご会葬まことにありがとう。」
        から
        〈いつも留守〉へと
        余韻のほかには
        ここには何ひとつ見当たらないが
        まなぞこの
        根の国でとわに煌めく星座の下
        何度も捺印し直されたいのちのように
        ここからここへ
        行くものがたしかにあるいえ、
        ある気がして
        悲しくてならない。
        ときのろくろがゆっくりと回っている
        膝をかがめて小石を拾い
        「もっとやさしく」とも言えず
        きょうは がさつの子でもなく
        小さな函をいくつも積んで
        うつろのふねはしばしたゆたい
        ちんちんと鏡を鳴らして
        燎原のぬくいご飯も魚もちろちろ食んで
        こうしてまた盗む朝のほねみの端へもようのように
        渡ってゆきますから。













        雨を見たかい〜ケガをしたはなし

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          ケガをしたはなし〜雨にぬれても

          ほったらかされていのちで
          頭にケガと傷を背負ってしまった
          ちがう意味でかわいがられ過ぎて傷を受けた亀みたいだ。
          ばすからおりて
          右腕にしょいヒモをはすかいにとおそうとして
          よろよろと他人の家に突きあたり
          ときがいまに〈ひっかかって〉しまったのだ。
          だれも見ていなくていい世界のなかで
          風を巻いて
          ひょろひょろとばくだんは降りつづき
          膳を措き
          炎を巻き込み
          誰かが火中に飛び込んでいく火のなかを
          過去が煌々と露出してしまったのはまるで
          なにかの間違いでいまだけが煌々と生き延びているかのようだ。
          血も骨も
          そのようなものだ。
          納骨堂も。
          門松も。
          そしてあすもまた接ぎはぎをはりなおさなければならないあたらしいあしたがあると思うと
          絆創膏をあてがわなければと思うと
          なんだかほんの少しありがたくなる
          クク
          やることらしいやるべきことがそれでもまた埋れていたのた。
          からかもしれない
          からかもしれないはずが
          それもまたすぐにうっとうしく
          ぬれ雑巾みたいに
          わが子をかわいがるのか
          いたいたしくて
          嫌になるみたいに。
          そんなときは自分の声に似せて
          いやだと言ってみる。
          自分の夢を食いやぶる
          こどもってにわとりみたいでいやだなあ
          バランスわるくてどうしようもなくていやだなあと意味なくゲンする。
          深い意味はない。
          うぶ声はもう遅い。
          降りつづく
          まんじゅうかいじゅう
          ばくだんかいじゅう
          夢を食いやぶる
          くそゲームめ
          ぼくらはみんな路の上で
          ベッドの上で
          うつ向きそらをほしがり
          泣きあげて地図を笑っている。

          *** **** ****

          *************

          地下室

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            地下室

            はだか並木のうしろで
            朝日を浴びて
            校舎はまだ気配を潜めて
            がらんとしていた。
            てんかいのあと
            いくつもの層となるわたしのそらで
            馬らはかつかつと地面に前足を
            鳴らし
            おもわず落とし穴に落ちてしまった、はじめ
            母屋では配膳の準備がすすみ
            廊下の突き当たりの高窓の下で
            舌のない時計がもう何年ものあいだほこりをかぶって
            遅い時を篩にかけていた。
            乳房の谷間に両手をかけて
            時は自分をふたつに割いて
            脱ごうとしていたし
            こくこくとかすかな喉音を立てて
            自らの口が生んだものを
            飲み干そうとしていた。
            停止を含んだ
            その止まない緩やかな天使の速度に
            廊下は寒々と
            目覚めていた。
            わたしは わたしはーー
            夢の帰路を失速しつづけながら
            馬の上半身の中に
            わたしは棲んでいるかのようだった。
            いまは住宅の立て込んだ
            学校下の蝮谷の草のまの空き地に
            潰えた悲しみの残骸があたたかく散らばり
            取り残されたように
            小さな小さな
            一棟の牛小屋と
            木桶の置かれた
            バラック建てのうす暗い搾乳室があった。
            夏の
            名残も
            遠く去った頃
            それはいまでも大事な
            さみしい宝物のひとつだったが
            長い時間をかけて呪文となった
            薊の
            丘でそのひとはとわの横顔をもたげ
            飛行機や貝殻や
            鱗や水に沈んだ羽を
            藪に荒れた窪地にすなどり
            古い光の下の
            窓から枯れ葉の見える
            懐かしい屋根の家の
            見知らぬ部屋の氷室のような急階段を
            「ピンちゃん、ぼくもおいで」
            と内気で無口な少年はどこか浮腫んだ蒼白い顔色をして
            漏れでてくる空虚の足音に包まれて
            静かなとびらを開くように
            降りていった。

            感染

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              感染



              夜じゅう細く開け放たれていたサッシ窓から
              朝風と眠らない朝の動悸が入って来る。
              気持ちのいい冷気を胸いっぱいに吸い込みながら
              13Fの病棟にはガス室と浴槽が同時にあると
              ほどける遠い海を抱きながら少年となった男は思った。
              きのうは少し熱っぽかった。
              隣ではごそごそと音を立ててベッドをなおす気配がする。
              腹にチューブを通した外科男だ。ささやくタチオもいる。
              大部屋のカーテンを少しだけ開けて
              通るひとが覗いていけるようにした。
              ここでは夜のほととぎすの声も届いては来まいと思い
              氷上を滑るスケート靴のように
              すべてが灰塵と帰したあとに無の奥底になお持続する今を
              生きている気がした。
              彼もまた〈使用中〉なのだ。
              遅れてくるように
              樹皮のうろに埋もれていく顔が
              まなうらで点滅しながら見知った顔のようでいて
              鬼のようにもくずれていくほとけのようにも樹の瘤の
              ミイラのようにも見えて
              見えないものに思わず顔を背けてしまった。
              サッシ窓を
              また鳩がことばのように横切っていった。
              どこにも目の据えどころが見つからないで、天井の孔あきボードの上を
              足はさ迷っていた。
              遠い夢かもしれない。
              でもなにが? と身に染むもの
              細い木道を縫って登り
              遥かに見下ろす
              朝霧に霞む森の地平線で
              空の果実を腕を伸ばして摘もうとする影絵の猿たちの
              あす死んでゆくことのあきらめと受け入れ。
              感染症。
              腰の辺りに重みを感じ
              なにかを声にしたかったが
              ここでなにか言おうとすれば
              きっと悲しいことになるのだろう
              いつもの足音に
              越えられないそれを
              待つだけだった。
              花かどに小川はせせらぎ
              調子っぱずれの歌を口ずさみながら
              老婆はいつもにこにこと笑っていた。

              木澤 豊さんの詩

              0
                層としての詩 「わたし」の手放し方と「わたし」への回帰。
                木澤詩の現在への覚え書き。


                都市草紙 2

                ここじゃない空へ

                木澤 豊



                黒い屋根の上を 音を立てて流れる人がたの雲が走って 

                今は止まっている見つけられなかった静脈が 停滞している

                夜更け ののしる窓 まるできたないものをみるように

                そうか あれは瓦礫の山脈が走っているのか


                   *

                文字でうたう あったかくて鋭い絶えず動く日々 

                川縁のコンサートホールに飛び込んだこうもりの細い叫び声が切ない

                へんな帽子をかぶった魔法使いの指先が落ちて激しく風が変わり とつぜん ダンスがはじまる

                   *

                うっすら唇を開き 目くらます雨で アスファルトが匂い立ち

                記憶はなにも変わっちゃいないな

                かれは腰を曲げて こう言った 

                目を傾けなさい 和音が崩れた


                   *

                花ある田んぼの針の草が倒れ 椀がたの 

                いや湾がたの楔形文字が崩れたので山の指でつなげよう 象形未時の秋に まだいるかな電報の発信した場所へ ゆっくりの電車で行く


                *

                空を飛ぶもの 東へ 

                あんまり重い休日の その日を 

                わたしは 取り返しようがない

                雀が空でおぼれている 見守る古い電柱 立ち止まれば甘い空気が声を上げる 色が変わってきた大通りで声を上げる


                   *

                ゆっくり膝を上げる これは信じられない虫のようで 

                月の表情も彫り物のようで 艶やかな皺が押し寄せ 流れに乗れなかった者一人が去る 草が実を結んだあとで まちがいない あれは わたしだ


                   *

                指がどこまでも行く 糸の道路の行き当たり 

                遠く 煤けた舟が揺れているその航跡のなか 林檎が手渡された 至上の夕日が道辺の塔に上っていく 力の魂の影であろうか


                   *

                ただひたすら水を飲み 道筋で痛い指を組む朝の草先 唇がひりひりする 八十八の夏がカーテンに揺れて 裏で薄れていく 裏とはこっち側だった 投げ手の長い腕が 見えない鍵盤を行き来していた


                   *

                あっ 踏み越えた 落ちていく庭の底へ

                一つの灯がまるい場所をつくり 人影が棒のかたちに立ったまま

                死んだら死んだなりですよね 一つボタンを外した男が言った 

                象のかたちの 雲の向こう 底なしの青じゃな


                   *

                キサワさんのも持ってきましたと書いた壁のようなものを担いで 

                プラットホームに上がってきたホソミズさんが言った これからスグムラさんの舞台を見に行くんだという そこから見るビル街の向こうは晴れ上がった空だ 

                短いことばでそれを伝えたら夕日で空が光った

                  *

                闇に きたないきれいの区別なんてありましょうか


                ? ? ? *

                十円切手の白い鶴が叫んだ 今朝の夜明け 

                フラグメンタルなジャズが窓をよぎった わたしというものは さびしい まあ風泊まりだけれど

                   *

                それは わたしの夢と接触する が、けっして一致しない

                都市の歯形である


                   *

                ぼくの魂は いま 居眠りをしています 

                という墓碑銘があり 樹木の半分が陰って葉先がざわざわ 一枚一枚の影が動いた わたしは ここじゃない方角へ くるっと回転した


                (全行引用)


                展開される14のセクションにそれぞれの場面がある。
                いま仮にそれぞれに小題めいたものを振ってみる。


                ?黒い屋根の上を 音を立てて流れる人がたの雲が走って 

                今は止まっている見つけられなかった静脈が 停滞している

                夜更け ののしる窓 まるできたないものをみるように

                そうか あれは瓦礫の山脈が走っている

                ↑ 流動して止まないもののなかの滞留ーーたとえば、「都市風景」「社会」「歴史」「人」「わたし」などが含まれよう。
                それから視線の卑近さ、間近さへの遠近法。これが詩の空気を示す、一篇の詩の序である。


                ?文字でうたう あったかくて鋭い絶えず動く日々 

                川縁のコンサートホールに飛び込んだこうもりの細い叫び声が切ない

                へんな帽子をかぶった魔法使いの指先が落ちて激しく風が変わり とつぜん ダンスがはじまる

                現象の生起


                ?うっすら唇を開き 目くらます雨で アスファルトが匂い立ち

                記憶はなにも変わっちゃいないな

                かれは腰を曲げて こう言った 

                目を傾けなさい 和音が崩れた

                ↑記憶を通過するように、内面化が企てられる。


                ?花ある田んぼの針の草が倒れ 椀がたの 

                いや湾がたの楔形文字が崩れたので山の指でつなげよう 象形未時の秋に まだいるかな電報の発信した場所へ ゆっくりの電車で行く

                ↑行為と行動


                ?空を飛ぶもの 東へ 

                あんまり重い休日の その日を 

                わたしは 取り返しようがない

                雀が空でおぼれている 見守る古い電柱 立ち止まれば甘い空気が声を上げる 色が変わってきた大通りで声を上げる

                ↑思念の風情、感情の発露。

                ?ゆっくり膝を上げる これは信じられない虫のようで 

                月の表情も彫り物のようで 艶やかな皺が押し寄せ 流れに乗れなかった者一人が去る 草が実を結んだあとで まちがいない あれは わたしだ

                ↑身体から「わたし」への気付き。


                ?指がどこまでも行く 糸の道路の行き当たり 

                遠く 煤けた舟が揺れているその航跡のなか 林檎が手渡された 至上の夕日が道辺の塔に上っていく 力の魂の影であろうか

                ↑覚悟性


                ?ただひたすら水を飲み 道筋で痛い指を組む朝の草先 唇がひりひりする 八十八の夏がカーテンに揺れて 裏で薄れていく 裏とはこっち側だった 投げ手の長い腕が 見えない鍵盤を行き来していた

                ↑悟り


                ?あっ 踏み越えた 落ちていく庭の底へ

                一つの灯がまるい場所をつくり 人影が棒のかたちに立ったまま

                死んだら死んだなりですよね 一つボタンを外した男が言った 

                象のかたちの 雲の向こう 底なしの青じゃな

                ↑「今」への回帰と味わい


                ?キサワさんのも持ってきましたと書いた壁のようなものを担いで 

                プラットホームに上がってきたホソミズさんが言った これからスグムラさんの舞台を見に行くんだという そこから見るビル街の向こうは晴れ上がった空だ 

                短いことばでそれを伝えたら夕日で空が光った

                ↑夢・回想

                ?闇に きたないきれいの区別なんてありましょうか

                ↑真理

                ?十円切手の白い鶴が叫んだ 今朝の夜明け 

                フラグメンタルなジャズが窓をよぎった わたしというものは さびしい まあ風泊まりだけれど

                ↑「わたし」への回帰


                ?それは わたしの夢と接触する が、けっして一致しない

                都市の歯形である

                ↑都市の咬み痕としての「わたし」の存立。


                ?ぼくの魂は いま 居眠りをしています 

                という墓碑銘があり 樹木の半分が陰って葉先がざわざわ 一枚一枚の影が動いた わたしは ここじゃない方角へ くるっと回転した

                ↑「今」の先へ。身の翻し。

                このようにして、14の小テーマが有機的層と積み重なって「わたしの現在」の立ち姿があらわれて来る。


                かたしろ

                0
                  (かたしろ)

                  みなさま、こんにちは
                  卍にきざまれたひたい男が朝
                  サッシの隅に鴉の落ちる
                  三日ぶりに陽射しの戻った空が靉靆をほどく
                  からのベッドに
                  横たえられて
                  なにか思い出せないことを思いだそうとしている。
                  カーテンが押されて
                  開いているから
                  遠目にはただ空のなかに
                  仰向けに
                  じっと横たわっているだけだ。
                  ひらかなのようにひろがった
                  てゆびあしゆび
                  からだが冷たかった。
                  木のまがくれに
                  蝋燭のいっぽん灯る
                  犬は家を出た。
                  霧雨のしずくが
                  青白く額に降って
                  だんなさまは
                  末広の邸に
                  お戻りになられました。
                  ふん、そうかい
                  提灯でもぶら提げて
                  三日月の曲がり角でも
                  ぶらついているのかい。
                  経験である前に
                  それであるもの
                  水である前にお前であるものを
                  だれも名指すことはできない。
                  ひとり紐を巻いて遊ぶ
                  独楽まわしの股の下の路地で
                  がらんとした空の
                  無人駅のアナウンスが物売りのようにおおんおおんと途切れがちに響いて
                  脱落した顎の
                  沈黙の天使が枯れた翼のかげで
                  鏡を磨いている。
                  うっそうとした静けさのはざま碧の淀みを渡り
                  みなもすれすれまで垂れさがった葉叢を樹冠めがけて実のように攀じのぼる自分を
                  かすかに見おぼえている。
                  こけた頬骨の円形広場で
                  赤や黄や灰色の服を着けた豆粒のこどもらが
                  影絵の罌粟を撒きながら
                  桟敷の石段を駆け降り
                  また戻ってくるから
                  暗い画廊の先で
                  羽根に頭をうづめて眠る青い鳥の
                  汚れたガーゼはまだうろついていないだろうか。
                  冷えたからだのぬくもりに
                  だれひとりひそひそ笑いながら
                  手をのばそうと
                  しないのだろうか。

                  福間健二、再び

                  0
                    福間健二、再認。

                    ぼく、と書きたくなるひとは、きみやあなたと書きたくなるものではないだろうか。そんなひとはやっぱり、きみによって在ることのできる「ぼく」の位相をどこかで知っている人だと思う。きみやぼくと詩のなかで書いたことのないひとは、福間健二に倣って、一度ぼくきみを使って詩を書いてみて、わたしにとってきみとは何かを確かめてみるのも面白いかもしれない。

                    濃密な水をたたえている
                    みずうみ。濁ることを
                    おそれるだれを犠牲にして
                    どんな波と速度が
                    ぼくときみとのあいだに立ち上がるのか。

                    (「みずうみ 1」詩集「あと少しだけ」より)

                    以前のFBのなかでぼくときみをめぐる福間健二の意味を詩集「あと少しだけ」のなかで使われている「犠牲」という用語を手がかりにJ・デリダを引用しつつ述べてみた。
                    それはデリダの「死を与える」のなかの、『他の者を犠牲にすることなくもう一方の者に応えることはできず、この犠牲を決して正当化することはできない』というアブラハムの苦悩をめぐるものだったが、福間健二は多義性のなかに住むきみと、ぼくとの二者関係がそれが成り立つ折に犠牲にしている他者(その他者、みずうみの水に溶け込む濁りとして、「濁ることを おそれるだれ」かとは、レヴィナスの言う、「『あなた』の顔が見つめているあいだも、『無限』はつねに『第三者』すなわち『彼』としてとどまっている」その他者にほかならない)にもちゃんと反応しているというそのデリケートな視線の豊かさを言ったつもりだった。
                    詩の囲い込みから社会へのことばの自然流出は世界的に既に著しい。巷の詩の遍在は生きて「しまっている」ことの救われ方、救われのなさの有り様と一〈身〉同体である。その遍在の在り方の掬い取り、詩の取り戻しが、福間健二の表現による現実へのコミットとなっているのではないだろうか。

                    7そうではあるが

                    いまはまどろみながら
                    音だけで漂う飛行機
                    その黒い歌が
                    紙の時代の最後のペコちゃんを溺れさせる。
                    こうして人の
                    入眠幻覚を踏んでいるのが
                    この靴はたのしいのだ

                    二〇一四年
                    この国の窪地の
                    線路を歩き
                    灰色の空と遠くの山並みを見た。
                    放心の
                    風の吹き込む廊下
                    人の内側から出るふりをして
                    この音楽は
                    何も守らない。

                    灯りのついた霧の街を
                    泣きながら去っていく人の前に
                    音で自分を見えるようにしている天使たちも
                    死ぬ寸前の
                    耳が聴く
                    音の傾斜で交錯する南と北も。

                    そうではあるが
                    銀色の天井の下
                    まだとぎれているわけじゃない
                    シャッターをあける手につく色が変化して
                    無音のもうひとりを遅刻させる
                    運命線
                    大正区
                    飛べない
                    痛い
                    うつる
                    と言っているのに
                    冬の光がその靴をきれいに見せている。
                                  (詩集「あと少しだけ」より『あと少しだけ』の7)

                    あと少しだけ、「生きること」。音楽が内側から湧くように現れてくるとすれば、それを移入として感性的深みや豊かさとして、わたしたちの営みを支える未知の出合いとして形容しようとすることは、ある意味常套手段である。けれども福間の視線はそうではない。はるかに現象学的であるとさえいえる。
                    まるで人の内側からから溢れ出てて来るように受け取られている〈それ〉は何かを守ってくれるというわけではない。悲しみと愁いに現れる鏡像のような天使の姿も、いままさに死んでゆきつつあるわたしたちがさぐる方位もそれは守ってくれない。わたしたちは誰でも何らかの意味で人生の生き難さを感じているが、生きることの生き難さを、慰めはデウスエクスマキーナのようには救ってくれない。わたしたちはどこかで、自身を守ってくれない道具としての慰めの機械の部品と化しながら、人生の享楽的な生き易さと生き難さを同時に生きているのかもしれない。
                    そうではある、そうではあるが。
                    この〈そうではあるが〉が2014年という日付のある福間の現在の境位を表している。守ってくれない、とわたしたちがそれへと傾いていく蔓延る通念の自己否定を示しておいて、さらにそれを、そうではあるけれともと否定する、その否定の否定が、福間の現実認識のへこたれない強度である。
                    けれども、福間健二の歩行の見ているものは困難に開かれた単純な希望の偽造ではない、わたしたちは常に自分のなかに、〈わたし〉という自身とその現実に遅れてくるしかないもうひとりの沈黙の別人を、かかえ込んでしまっているというのだ。それが自身の過去や未来の、鏡像であるのか、ドッペルゲンガーとしての他者であるのか、見知らぬ者かは分からないが、それがやって来るありのままの内的現実を、わたしたちのふりやつもりを射る冬の光が冷たく美しく照らし掛けるように、見据えている。

                    藤原安紀子 詩集「ア ナザ ミミクリ」

                    0

                      藤原安紀子 詩集「ア ナザ ミミクリ 」(2013年1月 書肆山田)

                      ロロロ ロ ア
                      ひとと 光りの棒が らせん描く視書へ射した

                      水の葉たたきに埋まっている みつけ て
                      水仙の群れもまわり
                      つまれた標立ててこの (イヲ)は還ってくる ロロリホー

                      ロロリ
                         ーロロロ

                      うたう口になってぼくが踏む口 になって散り
                      ねむる(イヲ)を連れて径を またきこし ア
                      やわらかい杖は曲がる こすり

                      あわせて笑う
                      ここえて不途 ロ ロ 音になり生まれてつたう

                      祝福する空も咳をして
                      リホー 目を 両手の凹みで運び
                      ようやく懐かしい 耳をなでて(ルカリテ)も奔りより
                      ロ ア ロ
                      つま突いて
                      こわれるまで抱いた ぼくも
                      記憶する骨屑がどこまでも延びるように

                      ひろげる
                      (イヲ)は

                      (詩集「ア ナザ ミミクリ」冒頭見開きページ)

                      ぼくはここでうたう者、風光とあざないあう者、抱き締める者、ここへと記憶を跨ぎ越し、ともども連れゆく者となって登場する。それは一方で強く思念をもとめ、このプロローグを過ぎて、イメージと融合したうたとして、意味の理路、物語の理路をあやうく不全と釣り合わせながら、「こわれた名詞」や構文、一語のなかでぶつかり合うシニフィエの多様さの中でときに片言的で、不明は不明のままに投げ出すように留め置かれる。その水路は消失や欠落への注視(「本質的な僅かな光を塗り残すために 視た いま。」)、余白や、無の在り方といった言外の歴史や体躯の記録を抱き込みながら、動詞の連鎖として可視化され浮き彫られていく、切り取られたエピソードの可塑性として引き受けられ、 開かれ続けて行くが、その出来事の散種の容態のなかに、垣間見えるうたう主体の場所が維持されていくように見える。それはたとえば、新しく、懐かしい、まだ見ぬきみを準備するかのようだ。

                      ぼくはいつかきみになる
                      それを忘れはしないから
                      外庭からつたってくる囀りに
                      ときどきはかなしい かおをして
                      いいよ
                      手紙にはそう書いておく
                      きみの名まえを綴る 数なく残った
                      チ カ ラ ハ、
                      (29―30頁)

                      これは誰への伝言なのだろう。すぐ側にいるようで先を見透かしても、振り返っても、きみの姿は見えないようだ。断念の抒情をかかえてどこかせつなく交感を求める感傷をも自己許容するこのポエジーの場所は、どこまでゆこうとするのか。

                      (…)膨張しつづける語を束にしてこころなどというものを語れぬように 己の声で歌い光速で
                      ばくはしていくサンクチュアリで あそぼうよ
                      (15頁)

                      世界は、もう〈こころ〉と言って安心できないほど、再び顕らかな、盲目の意志ででもあるのか。そうだとすれば、わたしたちはわたしたちを運ぶその原理構造に、どのように抗すればよいのか。もし〈真実〉というものがあるとすればそれは、壊れているということなのだから、「光速でばくはしていくサンクチュアリであそぼう」とは、ひとつの自己矛盾を生きようとする衝動であり、わたしたちに出来ることは、衝動ゲームのように〈あそぼうよ〉、ということによって、本質を見透かす「真のひつじ」にパラドキシカルにまたがろうとして、〈擬態(ミミクリ)〉のテクストとしてのことばの身体性を示すことだろうか。ここにはかって朔太郎 が近代詩の「こころ」を「感情」によって追放しようとしたように、現代のこころの追放が言われているのだろうか。いや、そうではなく、ここで語られようとするのは、こころの塗り変えであって、テキストの擬態は擬態としてもうひとつの他なる擬態、擬態としてしか語り得ぬ、他ならぬこころの擬態の必死さであるとも言えるのだ。語りえぬということで鏡像的に言い表わされているかもしれない「きみ」へと、とどかぬ心にまっすぐコミットしようとする擬態なのかもしれないのだ。ではこの不測の理路において、問答無用に親しげで間近な、「イヲ」「ルカリテ」とは何か? それは先ず、〈かたち〉であり〈伝言〉であり、ことばであり、そこに投げ出されてあるものである。

                      ひろがり
                      はやく間にあわない ぼくも 祖になるときみ (イヲ)は倒れてかさなる
                      影ぼうしは数とともにはら這って、地上をもつれ駆ける 音 ア くしゃみして
                      下敷きになる (ルカリテ)が弾けて跳ねて 来る き こえて
                      ( 10頁)

                      瞬間にしてやさしかった イヲ かたちだった (イヲ)
                      ぼくたちは砕かれ 躯抱かれて捲き返す イヲ (イヲ)
                      (35頁)

                      こしつのるかりて
                      ひとがのぼるほらる
                      なかにいるのだろう
                      (55頁)

                      最初に届いたのはルカリテの個室だ。
                      うたってごらん。
                      (58頁)

                      影であるとか、 ぼくと、ぼくのきみとに仮託として交わされる愛称であるとか、あるいはインナーチャイルドやトーテムの呼称であるなどと想像されなくもない「イヲ」「ルカリテ」という記号(それは結局は同一の記号の別名であるだろう)は、ぼくときみをぼくたちという関係性として成り立たせるための、化金石、人が「間」的存在であるための触媒である。あるいはそのことは自然も夢も経験を通じて森羅万象をおなじゅう混ぜ合うためのだれもその正体を知らない合言葉のようなものだと言っていいかもしれない。それは魔術の種であって、道端の小石であろうが木の葉であろうが何でもよかったのである。物語の最初から、実は「ぼく」とは「わたし」によってあなたと呼び掛けられるはずのぼくであり、きみとは、ぼくの夢の挿話のなかへわたしとして語り現れる者であるかもしれない。ぼくはわたしと語ることによってぼくであることを知り、わたしはぼくということでわたしとなる。「イヲ」「ルカリテ」によってこそ「ぼく」「私」は仮構の往復書簡物語となり、世界性として不即不離の関係性となりうる。その魔法の「種」があってこそ不可能性は可能性として起こりゆくすべては「ぼく」と「私」をめぐる「わたしたち」の出来事として語りうるのだ。このとき、一人称で語られる「ぼく」「私」とは「ことば」の擬人法であると言いうるのではないだろうか。
                      ぼく、は流れ続ける途中として(「きみは石灰の線とともにうねり束となる運動を涯なくつづけ、光りの重さと釣りあっている。」)渇き、欲している。それはわたしたちが歴史的身体性という、わたしたちであり外部であるものから束ねられた者であるからだろう(「虹が円形になるのを見届ける老人が後ろ向きになり幼いからだを庇うように消えた。(…) ぼくらの母はみえなく落ちた葉の背骨をひとしく悲しみ、沈む光りがうごきだす空径のようだった。」)。わたし、はルカリテとともに、はるかに揺蕩う時空を生きる者であるように映る。求める先が、かつて失ったものであるのか、まだ見ぬなにかであるのかを知らないまま、わたしをあなたに重ね合わせながら、その流動のなかで〈ぼく〉〈わたし〉は孤独でありながらもはや単独性ではありえない。

                      そとから、
                      イヲの月へ繰りなす(中性的に)三つ編みのぼくやルカリテの母が、最後の目をとどけて歌うきみを書物にのこす。てを、あわせ大きさを挟み二把の、ほのつれの樹を抜けてみるぼくは永い葉とともにくつろう。(咲きに)、名をひらいた小鳥とパピルスと庭や森の音を、叩くゆびあとに(裂くれ)待つ径はふき抜け、いつしか拍も増えていた。わたしはもう、葉に繁るルカリテがいなくとも明けて車輪を押し、降りつく白いきみの頬と音の灰とともに、別の枝へとまるだろう。どんなときもぼくはいる。茫然と萌えつづけるものとかさなり
                      (117頁)

                      どんなときもぼくはかさなりのなかにいる。イヲやルカリテや母やわたしやきみを跨いで、ここでは既知と未知が全体としてすっかり混在して姿を見せる。
                      〈きみ〉、〈あなた〉という二人称は特殊な他者、他者の否定としての他者である。他者としての他者は外部性として訪れる何かであるが、きみ、あなた、お前…と呼び掛けられる他者、〈わたし〉によって対幻想的、共犯性のうちへと囲い込まれてしまう他者は、間主観性の閾の上にいる他者であり、〈わたし〉はその〈きみ、あなた、〉の扉を開け閉めして外へ内へと出這いりする。内と外との閾の上で、わたしはわたしたちであり、そこでは、現象のこちら側とも向こう側とも言えるようなあり方で濡れ合うものたちが存在を存在する。〈音のないうた〉を見えるうたに変えるように。ほんとうの他者はイヲやルカリテなのかもしれない。
                      ある不到のことがらに対するように、ぼくがぼくである出来事はその都度の唯一性として〈ぼくら〉の上に次々に何度も何度も生じ来る出来事のたたなわりとしてなぞられるが、それは決定的にぼくがぼくあるいはぼくらにに遅れをとる「今」としてなぞられる、自身への不到としての謎なのだ。このわたしという交流装置の原像であるものに、藤原は素直で忠実であろうとして、ぼくやわたしやきみ、「イヲ」「ルカリテ」「ラビ」…などという仮想の搭乗者を配置し、そこにぼくやわたしを出入りする無名の書き手というもうひとつの主体の直接性をも擬態しようとする。いづれにせよ、わたしという次元のなかでわたしたちは擬態で在ることから逃れられないのだから。と、古い、枯れた火にくぼみのうてなをかざしながら、呪術師は言う。

                      しだいに何かの全貌であるあの小さな生き物はなにだったのだろう。

                      そこには途切れないうたの欲望がもえているのかもしれない。


                      時里二郎 ロッジア15号

                      0
                        時里二郎の個人詩誌『ロッジア15 〈名井島〉』(2015年9月 ロッジア刊)。

                        〈名井島〉は、「ないしまの」「息の紙縒り」「雨のにおい」「雲梯」より成る。

                        ないしまのよるのあかるさやみのあかるささやほにほみつしやもつきもなやほしのたねさしもあにさねやとるいもうとうるみうるみりうしのさねねこのみみのやくそくきりもなや

                        (「ないしまの」より一部引用。原文は20文字一行。)

                        「さやほにほみつ」は莢穂に火満つ、でもあろうか。
                        突如としてまずうた、そしてうたである。このうた世界は詩誌中の作品「雲梯(うんてい)」で、やがて名井島のウンテイと名付けられた病気のアンドロイドへと(何者かの夢の中で?、)転生してしまう中世のオキナが、ミズナラの森で取り落とし、再び見いだした、後鳥羽院の歌のコトノハの夜空、に通じている達磨歌の一種として、謂わば物語の伏線としてのプロローグの役割を受け持っている。
                        オキナと同じ小さな猿の体を持つ、アンドロイド「雲梯」は、なにか秘密めいた規格外れの不具合で名井島の療養所にいる、らしい。見えないはずのものを見、古い世界と血脈を通じ会うような、意味不明の息の紙縒のようなコトノハの断片や無い雨のにおいを嗅ぎとってしまう、らしい幻想の領域に踏み入りプログラムを食い破ってしまうほころびが、不具合の徴候でもあるらしい(とアンドロイド自身には告げられているようだ)。ここでは器官的身体と器官無き身体がせめぎ合う、分裂症的世界の内面が現れているように思う。この輪廻と未来小説を接合した設定において、テーマとして貫かれているのは、うたである。アンドロイドの不具合はどうやら、まずうたを嗅ぎ付けてしまうところにあるらしい。うたはどこから来るのか、何がうたをうたわせるのか、と問われれば、それは逆境のなかから現れると言われているようだ。アンドロイドが我が身に蒙っていると解している不具合という逆境から、預かった歌を忘れてしまったという翁の逆境から、それはしたたかに、火の鳥のように立ち上って来る。うたは病気である。長患いの身には病者特有の衰弱のクオリア(におい)というものがあり、それが隠沼のありかを嗅ぎ当てさせるのではないだろうか。そう言えばこの名井島の自然と環境にも不具合のほころびの符丁が蔓延っているみたいだ。
                        うたとは何か。われわれの生の逆境を貫いてある、うたとは何か。それはたとえば、

                        〈夢の切れ端〉として〈纏うもの一糸もないはだかの心を容れる〉身体(「雲梯」)として、〈三十一文字よりもさらにさらに〉〈つゆも途切れる様子なく〉(同前)あらわれてくるものへと向かって紡がれていくもの、ではないだろうか。

                        この先うたはどうなるのだろう? これはどこにたどり着くのだろうと、この未完のうた物語に触れて、だれもが行き先を尋ねたくなるだろう。ふと自分の詩の未来をたずねながら。

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